ありのままの自分を受け入れて生きる

私の生きづらさは発達障害からきているのだと、40代にしてやっと気づいた。いや、薄々気づいていた。でも現実を突きつけられると、受け入れるのに結構勇気がいるもので。。自分の無力さから「自分は何の為に生きているんだろう」などと、甘えた考えがでてきて本当に嫌になる。誰のものでもない私の人生が、少しでも豊かになるよう、私が私を諦めない為のブログです。

一歩前進

 今日は派遣会社の説明会に行ってきた。

派遣について検索はしてみたものの、ほとんど無知に近いので、行ってみるまで緊張した。

 

でも勇気をだして一歩踏み出さなければ、現状は何も変わらないまま、時間だけが過ぎていく。

無職の生活に慣れてしまわないうちに、動き出さなくては。

 

時給や福利厚生は今まで働いてきた中でも上位に入るほどの好条件。

ただ、自分に合った仕事が見つかるかどうか。

通勤時間なども重要だ。

 

緊張し過ぎると、言いたい事がハッキリ言えないことがあるので、分からない事は有耶無耶にせず、しっかり聞いて、後悔のない選択をしたい。

 

早速来週見学に行く予定だ。

まずは一歩前進。

焦らず前向きに。

 

 

 

三世代でランチ

 今日は祖母と母と一緒にランチに行ってきた。

祖母は今年97歳になったが、杖をつきながらも自分で歩き、耳は少し遠いが、よく喋る元気な人だ。

95歳まで畑仕事などをして暮らし、病気知らずだったようだ。

今年病気をしたことで、県外で暮らす息子夫婦と一緒に住むようになり、母とも頻繁に会えるようになり嬉しそうだった。

私も、もう祖母の田舎には帰ることはないと思っていたが、思いがけず、生きているうちに会って話す機会があり、とても嬉しく思っている。

 

母ともこれまで色々あったが、親孝行に時々食事に行ったりできるようになって良かった。

 

母と祖母の会話を聞いていたら、実の親子とはいえ、母もまた祖母と色々あったんだろうなと思う。祖母とたまに会う私にとっては、ただただ可愛くて大好きなおばあちゃんだけど、少々?我儘で、我が子には言いたい放題。笑

 

戦時中を駆け抜けてきた世代なので、若い頃は苦労が絶えなかったそうだ。

その分今は悠々自適に暮らしていて、少々人に迷惑をかけようがすごく前向きで、自炊もしながら活き活きとしている。

 

私と祖母は50歳も年が離れているが、それを感じさせないくらいの元気さだ。

人に嫌な思いをさせてしまうのは困りものだが、誰に何と思われてもあまり気にしない。そのくらいがこの世の中を生きるのには丁度いいのかもしれないな、、と祖母を見ていて感じた。

 

細かい事をあまり気にせず、反省すべき事は反省して、それ以上引きずらないようにしていくことで、祖母までとはいかなくても、元気に長生きできるのかなと気づかせてもらった一日だった。

 

時間を忘れて

 今日は花壇の土を再利用する為の作業を行なった。午前中の比較的涼しい時間帯に始めたが、気づけば昼前になっていた。

 

無心になって何かをするのは、余計な事を考えなくて済むので、私は好きだ。

 

目標の作業工程までやり遂げることができたので、満足している。

 

花壇にはパンジーやチューリップの球根を植えるつもりだが、植物や野菜が育つのを観るのはすごく癒される。

 

仕事をしている時は、その時間がとれるほど気持ちに余裕もなく、いつしか土いじりから遠ざかっていた。

 

久しぶりに土に触れ、癒されている自分がいる。

 

時間がゆっくりと流れ、穏やかな気持ちで過ごせることに感謝したい。

自分を知る

 今日は比較的気分がいいようで、今のところ規則正しい生活が送れている。

家にいると、つい横になってしまいがちだが、運動や掃除、読書をすることで気を紛らわせるようにしている。

 ちなみに今日は窓とサッシの掃除をした。

いつもの事だが、私は掃除をしようとするまでに少し時間がかかる。

でも最近、発達障害についての動画を見るようになったので、それを聴きながら、掃除をする事で、捗るようになった。

 

 

 前職の職業柄、発達障害について少しは理解しているが、ちゃんと理解しているわけではないし、自分も発達障害なんだと受け止めつつも、自分自身がまだ偏見すら持っていると感じている。

 

それでは「ありのままの自分を受け入れる」事にはならないと思うので、本や動画を通して、自分にはどういう特性があるのか。どんな対処法があるのかを知っていこうと思う。

 

 家にいても、手軽に知りたい事が知れるのは凄いことだなと思う。

そして、家でゆっくりする時間を作ることで、自分に向き合えるまで気持ちが回復してきていることも実感している。

 

少し勇気はいるけれど、休むって大事ですね。

 

いつか、「発達障害」に対して偏見など持たず、ありのままの自分を受け入れ、本当の意味で、自分の人生を生きれたらいいなと思っている。

 

まさか朝になるなんて

昨日は日中に数時間寝てしまったのと、頭痛とでなかなか寝付けなかった。

そのうち眠れるだろうと思い、無理に眠ろうとせず、ゴロゴロしていたが、頭痛が気になってきた。

頭痛薬を飲んで、暗がりで電子書籍を読みながら眠気がくるのを待った。

頭痛はそのうち治ったが、眠れる気配がない。

いつもなら焦るのだが、「まっいっか」と思っているうちに、朝がきてしまった。笑

 

仕事をしていた今までならあり得ない事。

焦って何とか寝ようとしていたに違いない。

 

今のところ眠気はないが。。

日中に寝過ぎて、昼夜逆転しないようにしなくては。。汗

 

今日は眠れますように。。

無意味なことなんてない

 三連休、二日目。

珍しく夜中に目が覚めることなく、朝を迎えた。

それなのに何故か体を起こすことができず、昼前までベッドの中で過ごした。

 

 休日でも自分のやりたい事やらないといけない事を、朝からテキパキとできる人が家族にいると、自分はなんて無意味な過ごし方をしているんだろうと思う。

 

思えば昔から兄弟や親戚の人と比べられ、自分の思い通りにならないと全否定してくる親に、コントロールされながら育ってきた私。

 

 いつの間にか自分も人と比べながら生きるようになっていた。

そして、人にもそれを求めていた。周りの常識や固定概念に囚われ、でもその通りにできない自分に、勝手に生きづらさを感じていた。

歳を重ねるにつれ、前ほど生きづらくはなくなったが、自分軸のようなものがなく、自己肯定感も低いまま、たまに誰の人生を生きているんだろうと思う時がある。

これって、家庭環境からくるものなのか、それとも発達障害傾向にあるからなのか。。

 

 人生に楽しさを見出せないのは何故なんだろう。。やっぱり今でも人と比べることで、自分の人生を楽しめていないのだろうか。

 

 それでも生きなければいけない。

きっとこれも贅沢な悩みなんだろうな。

 

昼食後、しばらくテレビを見た後、また自分の部屋に戻り、昼寝をした。

 

寝過ぎたら夜眠れないと分かっているのに、睡魔に勝てず。。

体調が不安定なのもあるので、自分の生理現象に逆らわないようにもしているが、寝過ぎると罪悪感がある。

 

とりあえず起きてから、昨日読んでいた本を読み進める。

痛いところを突かれてあー。。と思いつつも、

読み進める中で、またしても励まされた。

 

本を読むのは遅いが、今日のように、著者の思いに触れたり、自分の知らない知識が得られたりすので、少しずつでも読書を継続していきたい。

 

側から見たらだらしなく過ごした一日かもしれないが、私は私。

午前中は無意味だと思っていた私の休日の過ごし方が、本を読むことで考えを改めることができた。

無意味なことなんて何一つないんだ。

私の人生もまた。

そう信じて明日を生きる。

 

 

 

 

ほどよく忘れて生きていく

 今日から三連休。

家族が家にいる方が、ある意味緊張感があって、比較的規則正しい生活ができるように思う。

 無職なのにゴロゴロしていてはいけないという、見えないプレッシャーもあるのかもしれない。

 

 いつもなら外出するのも億劫だが(化粧をするのがもう既に面倒くさいのだ)食材も無くなってきたので、午前中に買い物に出かけた。

 一週間分くらいの食材をまとめ買いし、なるべく外に出なくて済むようにした。笑

 

 

 

 午後からは、ずっと気になっていた藤井英子さんの「ほどよく忘れて生きていく」を読みふけった。

私自身、忘れたい過去があり過ぎて。今でもその過去に苦しめられることがあって。その本のタイトルにひどく惹かれたのだ。

 

本来私は本を読むのが非常に遅く、最後まで読みきることができないこともよくあるが、この本は不思議とどんどん読み進めることができた。

  『心と身体は繋がっている。』

       ↓

元気な心を保つ為には、栄養のある食事をしっかりと摂ること。

 『ダラダラしてしまう時は、小さいことから手をつけてみる。やればやる気が出てくる。』

        ↓

人はやる気があるから、色んな事に挑戦できるのではなく、やっているうちにやる気が出てくるものだ。まずは動き出してみる。

 

今の弱っている私にはとても心に響く言葉ばかりだった。

久しぶりに良い本に出会えた。

 

前職での心の傷も、家で過ごすうちに少しずつ癒えてきているように思う。

少し気が重いが、就活を始めてみようと思う。

 

焦らなくていいから何か行動してみる。

まだまだこれからの人生長いのだから。